消せないココロ

「女神は星矢を、新たなる聖闘士として認めた!」
「ここに聖闘士の証しである聖衣をさずける!」

 闘技場に、教皇の声が響く。カシオスは、片方になった耳で、確かに、それを、遠くで聞いていた。負けるとは思えなかった。実際、スパーリングで負けた事はなかったのだ。
 引きちぎられた耳がひどく痛む。星矢の拳は流星となって、カシオスの身を砕き、大地を割った。

「カシオス、お前は自分の内に宇宙を感じた事があるか!?」

 宇宙…、ココロの小宇宙、そうか…結局、俺は…。失われていく意識の中で、カシオスはかつて修行中、同様に闘技場の床に這いつくばった事を思い出していた。

「カシオス!カーシオース!!」

 闘技場の床を、何度となくカシオスに味合わせるのは師であるシャイナのみだった。それは、他の誰と行うスパーリングよりもハードで、いつもカシオスはボロボロになる。何とか顔をあげた所を、思う様踏んづけられた。

 ぐぇ、と、蛙のつぶれたような声をあげる。カシオスの頬に、シャイナの足先がのった。

「何度言ったらわかるんだい!宇宙だ!体内に宇宙を感じるんだよ!!」

 宇宙、…宇宙って何だ、と、ほうけたようにカシオスが考え込んだが、シャイナの足が再び上がり、もう一度踏みつけられた。

「頭で考えるんじゃない!…ああ、もう、馬鹿がいくら考えたって無駄なんだよ、立ちな!もう一回、体で覚えるまで何度でもやるよ!!」

 聖域にいる、シャイナ同様白銀聖闘士のカペラなどは、そうしたシャイナの指導を「調教」と呼んでいた。シャイナ、カペラ、シリウス、魔鈴は、揃って聖域で修行をし、聖衣を得た聖闘士だった。内、弟子をとっているのはシャイナと魔鈴のみ。正しくは、一番の実力者であった魔鈴が弟子をとったのを快く思わなかったシャイナがあわてて師匠の名乗りをあげたのだ。正式には、シャイナを聖闘士としても、女性である点からしてナメてかかっていたところをコテンパンにのされた、ロドリオの村の札付き、カシオスが進んで弟子になったのが真相で、遠く日本から「聖闘士になるために」わざわざやってきた星矢あたりとは、そのあたりの動機からして随分と差があった。

 シャイナは、口頭でどうこう、という指導はしない。とにかく体を動かし、実践、とばかりにスパーリングを行う。だが、それでもカシオスは熱心に相手をしてくれるシャイナの指導に答えたいと常に思っていた。図体が大きく、気が付けば近隣の誰よりも腕っぷしの強かったカシオスだが、その乱暴ぶりはむしろ悪評として知れ渡り、気がつけば札付のワルとして、敬遠されがちだった。それが今は伝説の聖闘士候補として名を連ねている。それはとても誇らしい事であったし、厳しくはあるが、とにかく自分より強いシャイナへのあこがれもあったのかもしれない。

 シャイナが対抗心を燃やしている魔鈴の弟子である星矢を倒し、ペガサスの聖衣を手に入れる事。それはシャイナへの指導への何よりの恩返しであり、カシオス自身の望みでもあった。…が、しかし。

 目を覚ますと、手当てをされた自分と、見慣れた天井があった。

 ふと、横を見ると、既に日が暮れており、シャイナは放心したように、窓の外の星空を眺めていた。

「シャイナさん…スイマセン…俺…」

 カシオスの声に、シャイナは窓の外へ向けた仮面を振り返らず、答えた。

「あやまるのはアタシの方さ…、結局アタシがあんたに教えられたのは、見せかけの破壊力のみ、破壊の根本、原子を砕くって事さえ、教えてやれちゃいなかったんだ…」

「ましてや、小宇宙…なんて、ね、対抗戦を勝ち抜くくらい、腕っぷしだけで何とかなるって思ってた、小宇宙を身につけるのは、聖衣を手に入れてからでもいい、なんて…ね。…まさか、星矢があんな短期間で小宇宙を身につけるとは…」

「シャイナさんのせいじゃありません!俺が、俺が至らなかったんです」

「違う!違うんだ!…、アタシは、魔鈴に負けたくなかった、だから、あせって、力まかせに表面的な技ばっかりで…アタシの師匠は、そうじゃなかった、もっとちゃんと…だから、あんたの力を伸ばせてやれなかったアタシのせいなんだ…。ましてや、耳まで削ぎ落とされて…。アタシのわがままで、カシオス、あんたの未来まで…」

 頭を振って、シャイナが吐き出すように言う。仮面のせいで、表情はわからない。だが、確かに打ちひしがれた、一人の女の姿が、そこにはあった。

 カシオスは、傷ついた体のまま立ち上がり、シャイナの足元に跪き、見上げた。

「そんな風に、言わないで下さい、俺は、シャイナさんの指導を受けた事、後悔なんてしてません…。聖衣を手に入れる事はできなくて、もう聖域を去るか、雑兵になるしかないですが、…ここに残ります。…シャイナさん、また、俺の指導をしてくれますか?俺、まだ修行不足で…雑兵といえど、地上と女神を守る役目はあります。強くなっていけないはずはありません。俺、もっと強くなりたいんです!」

 一息に言い切ったカシオスは、息切れして、少し赤面しているようだった。

「…」

「カシオス、アタシの指導は相変わらずだよ、…いいのかい?それでも」

 ぽつりと言うシャイナの言葉に、カシオスの顔が輝いた。

「ハイ!お願いします!!」

 しかし、カシオスの願いはかなわなかった。その後、すぐに、シャイナには白銀聖闘士としての命令が下ったのだ。シャイナは聖域を出発し、そして、傷つき、打ちひしがれて戻って来る事となる。

 そして、カシオスは、守るべきアテナの為でなく、この世界で唯一無二の師匠のために命を落とす事となる。

(了)

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