逢瀬はいつも月の無い夜

 

 

 

 闇の中で、コトリと、金属音が響く。魔鈴が仮面をはずし、置いた音だ。闇の中で動く彼女の身じろぎを目で追わないように、彼女の顔を見ないように、アイオリアは努める。伸ばした腕、その先が素顔に触れる、しかし、許されるのは指先のみ。自分の上で、魔鈴の白い喉と、乳房が沿って描き出す曲線を見つめるが、その先の顔はわからない。

「聖闘士の女子にとって、顔を見られるというのは裸を見られる以上の屈辱なのさ」

という、魔鈴の言葉に、

でも、だからといって、こうすぱっと裸になっているのもどうなのかなあ、と、思うのだが、すぐに波立つ感情に押し流されて、獅子の名前そのままに、獣じみた逢瀬を交わして、どれだけの時が過ぎただろう。

外された仮面、闇の中にある素顔。どんなに体を重ねても、どれほど距離が近くても、魔鈴の表情はわからず、同じく心も遠かった。触れている箇所は熱を持って暑いほど、なのに、心がどこか冷めている魔鈴に、ひとり熱くなっている自分を滑稽に思いながら、白濁していく意識に、心地よい疲れが広がって、アイオリアはまどろむ。

「こう、事のあと、というのは、男の腕枕で睦言を交わしたりするものなんじゃないのか?」

そう聞くと、

「そのロクでもない知識はミロあたりから聞いたのかい?」

と、鋭く図星をついてくる。二の句が継げずにもごもごしているアイオリアに、魔鈴がだるそうに答えた。

「女も男も星の数。そうそう、三流官能小説みたいな展開があちこちに転がっているワケでもないさ、…不満なら、もう来ないよ、アンタの望みと私の望み、今は利害が一致している…そう、思ってるけど?」

自分ほどでなくても、魔鈴が自分に好意を感じている様子の言葉に、(多少、というか、かなりぶっきらぼうではあるが)思わず顔がゆるみ、返事をしようとすると、既に寝息をたてている。仮面を外し、背を向けて。…顔を覗き込まない、とは思わないのだろうか、と、憮然として、しかし、決して顔を覗き込むことはせず、アイオリアはため息をついて、背中同士をくっつけて、眠りにおちた。背のぬくもりは、夜明けにはいつも消えていて、夢だったか、と、不安になるのが常だった。

世間で言うところの、『惚れた弱み』にほだされて、魔鈴の気まぐれを頼りに、二人の逢瀬は、不思議と続いていた。

始まりは、あの十二宮の戦いの後の事。

カシオスの遺骸をシャイナに渡し、一人になった時に、アイオリアはあまりの自己嫌悪に吐き気を覚えた。星矢に会い、兄の死の真実を聞き、直情に乗り込んだ教皇の間だった。あの時、もしも、あと少し先を考えれば、カシオスを死なせずにすんだのではなかったのではなかろうか。
雑兵とはいえ、カシオスもまた、女神を守る者。悔いの無い、満ちたりた顔だった。それだけに、アイオリアは思う。

俺は、己の未熟さで、カシオスを死なせ、女神をもまた、守る事ができなかった…、それどころか、カシオスが、星矢がいなければ、俺は…。

何が黄金聖闘士か、何が…女神を守る最強の聖闘士か…。

「アイオリア、そこで自分を責めたところで、カシオスは生き返りゃしないよ」

振り向いた先に、傷ついてボロボロになった魔鈴が立っていた。

「裏切り者の弟の汚名を恥じて血気にはやり、女神に手をあげようとしたばかりか、短慮に教皇にあたってカシオスさえ死なせた俺に何の用だ、魔鈴」

「おーや、またずいぶんな落ち込みようだねえ」

「…」

アイオリアが答えずにいると、魔鈴が続けた。

「サガは、自決したそうだよ、まあ、そうだよねえ、アイオロスを殺し、教皇を殺し、そしてまた、地上の平和のため、とはいえ、女神までも亡き者にしようとして、多くの血を流させたんだからね。無理もないさ。…アイオリア、あんたも、死ぬかい?」

アイオリアは、魔鈴の表情の無い仮面をねめつける。

「数少ない黄金聖闘士、これから女神を守らなきゃいけない使命さえも放棄して、命を絶てるってんなら、自決するがいいさ、あんた程度の男を黄金聖闘士にしちまった前教皇の責任だろうからね」

「魔鈴、お前!」

思わず魔鈴に手をあげそうになったアイオリアに、魔鈴は冷静に答える。

「…私も、アステリオンを殺した、同じ、白銀聖闘士の仲間をね、他に方法は無かった、説得するための材料も、決定的な証拠も…、自分を責めて、アステリオン達が生き返るなら、いくらでも自分を責めるさ、だが、私は、まだ死ぬわけにはいかない、…アイオリア、あんたもそうじゃないのかい?」

魔鈴の顔が歪んで見える、アイオリアは泣いていた。

「…ったく、いい男が、情けないね」

血と汗にまみれているはずなのに、魔鈴はどこか甘い香りがした。甘い香りがするな、と言ったら、

「そりゃアフロディーテの魔宮薔薇の香りだよ、あんまり深く吸い込むと、毒にやられるよ」

そう、答えて、笑った(ように聞こえた)。何しろ、魔鈴は仮面をつけたままだったので。聖衣をつけたまま抱き合ったので、ガシャガシャと音がする、奇妙な抱擁だった。

おかしなもので、一度弱い部分を見せてしまうと、気が楽になるのか、アイオリアは魔鈴には弱音を吐く。魔鈴は特にこれと言って答えないが、黙って聞いている。そうして、何度となく、二人で会う事が増えた。

「仮面を…はずさないのか?」

と、尋ねる。アイオリアにしては無骨な愛の告白のつもりだったのだが、次の瞬間には顔面にイーグルトゥクラッシュが炸裂していた。

「死にたいのかい?」

と言う魔鈴に、アイオリアはそれ以上求める事をやめてしまった。だから、一度たりとも唇を重ねた事は無かった。しかし、月の無い夜、新月や、雨の夜、魔鈴はアイオリアを訪ねる、そして、夜明け前にはいなくなる日々が続いていた。

共に、女神を守る聖闘士同士、いつかは戦いで命を落とすかもしれない二人にとって、それは刹那の触れあいでしか無かったのかもしれないが。

(了)

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